HOME

Recruit 採用情報

DLE Dream Link Entertainment

Interview

はたらく人
「ディレクター」

「ディレクター」谷 東(たに あづま) DLE

「ディレクター」谷 東(たに あづま) DLE

谷 東(たに あづま)
DLEのディレクター(アニメーション監督、演出家)。実写の制作現場でディレクターに従事した後、DLEに入社、蛙男商会のプロデューサーとしてTVアニメ『THE FROGMAN SHOW』の立ち上げを行う。またDLE FLASHスタジオを立ち上げ、パンパカパンツのクリエイターなど多数のクリエイター発掘を行う。2006年よりディレクターを兼務。監督作として『ピューと吹く!ジャガー』、『テルマエ・ロマエ』、『ほんとにあった!霊媒先生』、『だぶるじぇい』、『這いよる!ニャルアニ』、『みにヴぁん』、『ガラスの仮面ですが』など。業界に数多くいるロードバイク好きなクリエイターの一人。練習は奥多摩方面。能年玲奈のファン。NHK朝ドラの『まだまだあまちゃんですが』コーナーに出た。

昔から映画が好きで、同じ映画を繰り返してみたり、父の8mmビデオで、LEGOや粘土を使ってコマ撮りして遊んでました。

ー どんなきっかけでDLEに来られたのですか?
学校を卒業し、ある先輩の紹介でTVやビデオグラムなどを制作する映像プロダクションに入りました。その先輩とは、当時ビジュアルワークスという会社の企画で、今のアニプレックスですが、もう20年近く前に行われたプロデューサー養成講座というところで知り合いました。小津のビデオをかしてもらったり、映像のことや読むべき本などを教えてもらったり、僕の映像についての下地の重要な部分を作ってくれた人だと思っています。今はすごく偉くなってます(笑) また、その講座でもう一人、僕にとって重要な出会いがあったのですが、僕に色々映像のことやみるべきアニメなど、主にアニメのことを教えてくれる友人にも出会いました。彼もアニメ業界で偉くなっています。ふたりとも情報交換したり今も仲良くさせてもらっているのですが、今から考えると、アニプレックスのその企画はすごい試みだったと思います。そんなわけで、はじめは、実写の映像プロダクションを紹介してもらい、そこに入社しました。当時は映画を作りたいと思っていたんです。ただ、いわゆるADスタートで、なかなか稼ぎが少なく、ちょうど結婚するのにお金が無かったり、義理の父にその稼ぎでは娘はやれんと言われたりで、26の時に転職することにしました。制作プロダクションでは、若かったけれど、社長が倒れてそれ以降、代打ちで短尺の作品やビデオグラムのディレクションを任せてもらえるようになったり、NHKに出向してNHKの番組制作をさせてもらったり、得難い経験をさせてもらったのですが転職することにしました。転職先は広告代理店で、ネクタイをしたり、プレゼン用パワーポイントを作って営業したり、いわゆる社会人経験をさせてもらいました。それまでネクタイしたこともなければ、Microsoft Officeもろくに触ったこともなかったし、当然外回りの営業とかなかったので、ものすごくプラスだったと今にしては思っています。その代理店には4年間いました。ただ、やはり映像の仕事戻りたいという思いがだんだん強くなってきて、そんなおりに最初の映像プロダクションを紹介してくれた先輩が、知り合いがアニメの会社を立ち上げるので映像制作に詳しい人間を探していると、椎木さんを紹介してくれ、初めて椎木さんに会いました。映像の仕事に戻りたいという気持ちと、DLEは当時はまだ本当に小さい会社で、椎木さんとアシスタントの女性の2名しかいなかったのですが、椎木さんが今までに会ったことないようなエネルギーに満ちていて、今でも似た人にも会ったこと無いのですが、きっと面白い仕事ができると思ったのでDLEに入社させてもらいました。
ー どんなお子さんだったのですか?
父の影響が強いと思うのですが、異様に映画が好きでした。子供の時から家に、父が買ってきたナウシカやAKIRAなど大友さんの漫画がありましたし、よく映画に連れて行ってもらいました。最初の記憶は3歳だったと思うのですが『スター・ウォーズ』の最初の作品です。途中でお腹の調子が悪くなり、トイレに行きたくなって、ひとりで行ってオーバーオールの金具が外れなくて漏らしてしまい、映画の途中で父と家に帰ったのを憶えています。その後、父の仕事で、エジプトのカイロに引っ越し、小学生低学年の3年間住んでいたのですが、TV局が当時のカイロには2つしかなく、父がTVで放送される映画をすごく楽しみにしていて、一緒に『ナバロンの要塞』をみたのを憶えています。この映画は特に父が楽しみにしていたので、昼寝をする条件で、夜遅かったけど最後までみさせてもらいました。小学2年生の時です。傷ついたランカスターが着陸するファーストシーンを今でもよく憶えています。帰国し、小学校4年生の時、父がビデオデッキを買ってきてからは、TVで放送された映画を録画して見まくってました。インディージョーンズシリーズの1作目『レイダース/失われたアーク』は小学校卒業までには100回はみたと思います。『ランボー』など話題作はやはりよく父に連れられて見にいきました。そのころ吉祥寺に住んでいて、テアトル吉祥寺という二本立ての二番館があったのですが、『カリオストロ』と『ビューティフル・ドリーマー』の二本立てを友達と見に行って衝撃を受けました。今でも持っているのですがカリオストロのパンフレットに宮崎さんのコンテが1ページ入っていて、偽造紙幣工場をルパンが見つけるシーンなのですが、こうやってアニメは作るのかと衝撃でした。中学生の時、父が8mmビデオを買ってからは、たまたまコマ撮り機能がついているソニー製のカメラで、レゴや粘土を使ってコマ撮りにハマりました。中学の時は『ロボコップ』に衝撃を受けました。激しいバイオレンスシーンや、どう考えてもおかしい劇中CMに、うっすらと、面白い映像に、それだけではなく、監督の主義/主張が強烈に込められている、そんな作り方があるんだなぁと思い始めたような気がします。多くの監督と同じだと思うのですが、高校に入ったら自主映画を作り始め、文化祭でゾンビ映画を作ったりしました。『桐島、部活やめるってよ』を見てみんな高校でゾンビ映画作るんだと思いました。今も時間があったら、映画見たり、アニメ見たり、ドラマ見たり、漫画読んだり、あまり変わっていません。昨日、スコセッシの新作『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』みたのですが、最高でした。
ー 担当されている職種に求められる素質ってどんなものがありますか?
ベースとしては、「映像が好き」、「作りたい」って衝動が大事です。プロは自己満足だけじゃなく、お金に換えられる作品を、予算だったり、とある時間で作ることが求められますが、それはなかなか辛いから、その気持ちが本物でないと続かないと思います。でも、もっと大事なのは、世の中に対して謙虚じゃなきゃ駄目だと思います。映像作る人って別に世の中に必ずいなくてもいいわけで、代わりもものすごくたくさんいて、面白いもの作れなかったら消えていくしかないので。

世の中にないモノを創るのが、クリエイターの仕事。

ー 仕事で一番大変なことは?
ものを作っていると、いつも理想があって、それに挑むのですが大抵いつも届かないです。それが苦しい。「自分には無理なんじゃないか」「才能がないんじゃないか」とか葛藤しながら、やっぱり時間と予算に限りがあるわけで、またそれがプロなので、そんな中で作ったものだけれども後からみると「うーん」と唸ることは多々あり、いつか突き抜けられると思って作っているのですがなかなか上手くいかなく苦しいです。
ー 仕事で一番楽しいことは?
評価がダイレクトに返ってくるところは悪く無いです。twitterとかで反応良い時は、やっぱり嬉しい。5年前とくらべてネットの人は優しくなってると思います。ダメと言われるところも勉強になることもあり悪く無いです。
ー DLEって一言でいうと、どんな会社ですか?
「自由な会社」ですかね。これしちゃ駄目っていうのは会社だから最低限はあるけど、ものを作ることに関しては自由がありますね。椎木さんから、もの作りに関しては「あれ駄目、これ駄目」って言われた記憶はあまりないです。反対に「これが面白い!」って言うことは絶対聞いてくれるタイプの人です。あと椎木さんカラーはものすごく強いです。

DLEは、「自由な会社」。

ー これからのビジョンを教えてください。
今はショートアニメでギャクアニメの『秘密結社 鷹の爪』のスタイルがうまくいってますけど、海外展開をもっとドライブできるコンテンツを手がけていきたいですね。今よりお金をもっとかけた別の表現もとてもやってみたいです。

PAGE TOP