社長ブログ

2009年7月17日 17:17

7月からの新生DLE!

7月は、DLEにとってお正月です。新しい会計年度が始まり、新しい組織体制にもなりました。DLEは、この1年を、DLE第二幕の始まりの年と考えています


DLEの第二幕は、プラットフォーム戦略と積極的海外戦略が中心となります。それを実現するために、社員だけでなく、各界を代表する社外の才能が、我がDLEに協力してくださることになりました。


まず、元ドコモの執行役員で、プラットフォームビジネスの最大の成功例であるiモードの生み&育ての親である夏野さんが、DLEの社外取締役に就任してくれました!!


夏野さんとは、楽天イーグルスのオーナー&社長で、DLEの顧問でもある島田さんからの紹介で出会いました。そして、その場でその2日後に開催される超ガラパゴス研究会に誘って頂き、何度かお会いしていく中で、DLEKIRA KIRA JAPONを始めとする海外戦略を評価してもらえ、今回の就任に至りました。夏野さんには、チーフ・プラットフォーム戦略・オフィサーとして、DLEに知見を注いで頂きたいと思っています。


皆様御存じのとおり、夏野さんは、情報技術・通信業界の代表的人物としても大活躍中の方ですので、DLEにとって、こんな力強い援軍はありませんし、夏野さんのお眼鏡にかなったことは、ベンチャー企業のDLEとしては、とても光栄なことです。

 

海外ビジネスにおいては、DLEの最重要界パートナーであるHASBROが、今、トランスフォーマー劇場版の大成功で業績を伸長させており、つい先日アメリカの有力ケーブルTV局であるDISCOVERY KIDSを買収したわけですが、そのHASBROTOPエグゼグティブであるBILLING氏が引き続きDLEの社外取締役を引き受けてくれました。今後、DLEの海外戦略において、HASBROが買収したメディアや、彼らの世界に広がる玩具ビジネスネットワークは大きな差別化要因になりますので、BILLING氏には、DLEHASBRO提携の象徴として、大活躍してもらいたいと思っています。


中国もDLEにとっては、重要なマーケットです。その中国のエキスパートとして、元ソニーチャイナの会長で、前日本トイザらスの会長でもあった小寺氏がDLEの顧問に就任してくださっています。


ネットにおける最先端の動向や人脈もDLEにとってアンテナを高く張っていなければならない大変重要な分野ですが、その分野でも大活躍中の、楽天の顧問でもある小澤氏が顧問に就任してくださいました。


社外取締役:夏野さん、BILLINGさん。顧問:島田さん、小寺さん、小澤さん。ベンチャー企業としては、これ以上望めないタレント集団が揃ってくださいました。これで本当の意味で、DLEが目指してきた世界有数のエンタメブランドへと成長していける土台ができた感があります。


この1年、国内に、国外に、どれだけ大暴れできるか、本当に楽しみです。

2009年7月 1日 16:57

マイケルジャクソンさんとの思い出

マイケルジャクソン死去のニュースにはとてもびっくりしました。

実は、2006年5月に、マイケルがMTVビデオ・ミュージック・アワード・ジャパンでレジェンド賞を受賞し、来日した際に、宿泊先のフォーシーズンズホテルの彼の部屋で、3,4時間に渡って5人程度(マイケル側3人、日本人2人)の少人数でミーティングをしたことがあります。

丸テーブルで私の横に座った当時の彼は47歳。すでに幼児虐待関連の裁判で大変な時期でした。50歳になる2009年に、アメリカじゃない地域でカムバックする、今のところアジアツアーでの復活を考えている、その時には、映画をひっさげてのツアーにしたい!という夢を語ってくれました。

彼は、日本のアニメーションの技術がお気に入りで、アニメとCGをうまく融合した壮大な作品を作りたい、表現したいクリエイティブはここにある!と言って、何度も何度も自分の頭を指さしていました。

マイケルは、TVで見るマイケルとまったく同じ静かな口調で、大きな夢を語ってくれました。
守秘義務契約書も結ばないのに、いろんなことを話してくれるんだな・・・なんて考えながら、私も自分が映像業界で経験したことや、彼の質問に関し分かる限りの話をしました。

そして3,4時間のミーティングを通じて信頼を獲得でき、映画をやる際には、椎木がプロデューサーをやってくれ、椎木の携帯に電話するから、という話になりました。(本当はもっと面白い話が満載のミーティングだったのですが、さすがにこの場では公開できません...)

マイケルの想定の映画予算額は間違いなく世界の最高額でした。
マイケルは、自分がやる限り、世界でナンバーワンでなければならない、エポックメイキングなものでなくてはならない、ということを言ってました。あそこまで上り詰めると、よりインパクトを!とかよりダイナミックに!と思うと、実現するには何千人、何年、何百億円もかかってしまうような本当に大変なことで、常人には理解に及ばないプレッシャーが、彼および彼のチームにあることは容易に想像できました。

彼がカムバックに選んだ地域はアジアでなく、ロンドンでした。映画も実現しませんでした。でも彼の、復活や映像への熱い思い、日本のクリエイティブへの評価、どれをとっても映像や日本へのレスペクトに溢れたもので、私としては、忘れられない素敵なミーティングでした。

伝説になった男と、一瞬でも、双方が持っている熱い思いを共有し、信頼関係が結べたこと、素直に誇りに思います。

椎木 隆太

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