2009年7月 1日 16:57
マイケルジャクソンさんとの思い出
マイケルジャクソン死去のニュースにはとてもびっくりしました。
実は、2006年5月に、マイケルがMTVビデオ・ミュージック・アワード・ジャパンでレジェンド賞を受賞し、来日した際に、宿泊先のフォーシーズンズホテルの彼の部屋で、3,4時間に渡って5人程度(マイケル側3人、日本人2人)の少人数でミーティングをしたことがあります。
丸テーブルで私の横に座った当時の彼は47歳。すでに幼児虐待関連の裁判で大変な時期でした。50歳になる2009年に、アメリカじゃない地域でカムバックする、今のところアジアツアーでの復活を考えている、その時には、映画をひっさげてのツアーにしたい!という夢を語ってくれました。
彼は、日本のアニメーションの技術がお気に入りで、アニメとCGをうまく融合した壮大な作品を作りたい、表現したいクリエイティブはここにある!と言って、何度も何度も自分の頭を指さしていました。
マイケルは、TVで見るマイケルとまったく同じ静かな口調で、大きな夢を語ってくれました。
守秘義務契約書も結ばないのに、いろんなことを話してくれるんだな・・・なんて考えながら、私も自分が映像業界で経験したことや、彼の質問に関し分かる限りの話をしました。
そして3,4時間のミーティングを通じて信頼を獲得でき、映画をやる際には、椎木がプロデューサーをやってくれ、椎木の携帯に電話するから、という話になりました。(本当はもっと面白い話が満載のミーティングだったのですが、さすがにこの場では公開できません...)
マイケルの想定の映画予算額は間違いなく世界の最高額でした。
マイケルは、自分がやる限り、世界でナンバーワンでなければならない、エポックメイキングなものでなくてはならない、ということを言ってました。あそこまで上り詰めると、よりインパクトを!とかよりダイナミックに!と思うと、実現するには何千人、何年、何百億円もかかってしまうような本当に大変なことで、常人には理解に及ばないプレッシャーが、彼および彼のチームにあることは容易に想像できました。
彼がカムバックに選んだ地域はアジアでなく、ロンドンでした。映画も実現しませんでした。でも彼の、復活や映像への熱い思い、日本のクリエイティブへの評価、どれをとっても映像や日本へのレスペクトに溢れたもので、私としては、忘れられない素敵なミーティングでした。
伝説になった男と、一瞬でも、双方が持っている熱い思いを共有し、信頼関係が結べたこと、素直に誇りに思います。
椎木 隆太